オンカジでは様々な戦略を試してきたが、「負けない」ことを重視するあまりに「大きな利益」を獲得できてこなかったのは事実だ。
俺がオンカジを利用する目的の一つは「軍資金の範囲内でへそくりを増やしていくこと」なのだが、実際のところの「へそくり事情」は増えもせず減りもせずといったところで、このままでは高級焼肉が食える日は遠ざかる一方である。
というわけで、そろそろ「負けを取り戻す戦略」ではなく「勝利金を爆上げする戦略」にも目を向けてみようかという流れになってきた。
そこで着目した「勝利金爆上げ戦略」こそが「パーレー法」である。
パーレー法は「逆マーチンゲール法」ともいわれている戦略であり、マーチンゲール法、ココモ法、ダランベール法などが「守り」の戦略であるならば、パーレー法は完全に「攻め」の戦略である。
今回は、「ハイリスク・ハイリターン」の「超攻撃型戦略」であるパーレー法のリスクや攻撃性と、極めてギャンブル的なその本質について見ていくことにしよう。
勝つたびに賭け金を倍額にしていく連勝前提の戦略
パーレー法は、「勝つたびに次回の賭け金を倍額にしていく」ことで勝利金を増幅させていくという単純明快な戦略だ。
「負け額を倍額にしていく」マーチンゲール法が「負けの倍プッシュ」であるならば、逆マーチンゲール法ともいわれるパーレー法は「勝ちの倍プッシュ」ということになる。
パーレー法は「一回の負け」の時点で終了してすべての利益を失う戦略であり、「連勝」を前提としているところに特徴を持っている。
オンカジにおける「守り」の戦略が、数学理論などを借りて「リスクの分散」などを測らなければいけなかったのと対照的で、パーレー法には複雑な数学理論などは一切存在しない。
パーレー法は「とにかく、ひたすらに全力で殴る」というような無謀な性格を持っているため、「戦略」と呼べるシステムベッティングかどうかも怪しいのだが一応は「戦略」ということになっている。
パーレー法は「勝ち逃げ」のタイミングでいかに降りられるか、その見極めにすべてがかかっている戦略で、この勘所をおさえているプレイヤーだけが「膨れ上がった勝利金」を獲得することができる。
パーレー法も、基本的にはマーチンゲール法と同じであり、「勝率50%/2倍配当」のゲームで使用されることを前提としているのだが、これはハッキリ言ってタテマエでしかなく、単純な「勝ちの倍プッシュ」である以上は、実際はどのゲームで使用してもかまわない戦略であるだろう。
むしろ「勝率50%だから」という消極的な理由ではなく「勝率とは関係なく連勝がイケるはずだ」と判断し、2倍配当以上の勝率が低いゲームでこそパーレー法を積極的に使うような「当たって砕けろ精神」の持ち主に、むしろパーレー法は向いている。
パーレー法を利用するにあたって戦略的思考は必要ない
パーレー法を使うにあたっては「戦略的思考」はまったく必要なく、とにかく「連勝できそう」と感じたときに使うだけであり、パーレー法は全面的に「直感」にゆだねられた戦略である。
パーレー法を使うにあたって「確率を重視すべきだ」という考えを提示する向きもあるようだが、パーレー法を使うコツは「確率を無視することにしかない」というのが実際のところである。
逆に「確率」を基準にしてパーレー法を使い「この勝率だから、連勝がイケるはずだ」というような思考に満ちた判断をする場合、パーレー法での勝利条件である「勝ち逃げ」のタイミングを見誤ることのほうがむしろ多くなるだろう。
パーレー法に関しては「考えたら負け」であり、ひたすらギャンブラーとしての野生の勘だけに頼り、「策士策に溺れる」ことだけは回避しなければならない。
また、パーレー法で負けた場合に、「マーチンゲール法で負けを取り返す」というような折衷案を提示するプレイヤーもいるが、これはパーレー法という「負けを取り返すことを基本的に考慮していない攻めの戦略」の本質を理解していない、愚かな併用であると言わざるを得ない。
パーレー法を利用するにあたって絶対的に必要なのは、「負けを取り返す」というような守りの精神性の、全面的な排除だけである。
「とにかく勝つだけ」「連勝するだけ」「すべてを失ってもかまわない」ということに集中して一回一回のベットと生身で向き合うことによってのみ得られる「ヒリヒリするような勝負勘」だけが、パーレー法の成否を左右するといっても過言ではない。
要するに、パーレー法というのは、「戦略」というよりも、ギャンブラーとしての「生きざま」なのである。
パーレー法が向いているゲームなどは存在しない
パーレー法が戦略というより生きざまである以上、パーレー法にはそもそも「向いているゲーム」というのが存在しないというのが実際のところである。
パーレー法には「パーレー法に向いているゲーム」があるのではなく、「パーレー法を採用するのに向いているプレイヤー」がいるだけであり、そもそも「パーレー法が向いているゲーム」という考え方をするタイプのプレイヤーはオンカジでパーレー法を使うべきではないかもしれない。
オンカジにおける「戦略」は、基本的には「君子危うきに近寄らず」というコンセプトをもとにしたシステムベッティングが構築されているのだが、パーレー法というのは、この「危うき」だけを取り出して特化したような戦い方であり、「システマティックなもの」ではない。
パーレー法は、「戦略」を使って戦局を見極めるような「君子」が、そもそも近寄ってはいけない性質のものなのだ。
つまり、パーレー法を使うのであれば「君子」ではなくて「武将」になる必要がある。
戦局のなかでのとっさの判断で蛮勇をふるうことができる人間の「命がけの一撃」こそがパーレー法の勝利には必要なのであり、パーレー法を使う人間は、その都度「呂布」や「張飛」のような猛将でなければならないのだ。
「君子」ではなく「武将」タイプの人間であればパーレー法を使うべきだし、そういった攻めのアティテュードの人間であれば「パーレー法に向いているゲームなどない」が一転して「すべてのゲームがパーレー法に向いている」ということにもなるだろう。
オンカジではつねにパーレー法を使うタイミングがあらわれる
オンカジにおいては、つねに「最初の勝利のたびにパーレー法を使うタイミング」がその都度あらわれると考えたほうがいい。
パーレー法というのは、あらかじめ「パーレー法を使って賭けていくぞ!」と考えて出発するような戦略ではなく、「ここはもうパーレー法を使うしかないのかもしれない」というタイミングが来たときに使うかどうかを決定するものである。
そして、「ここはもうパーレー法を使って倍プッシュするしかないのかもしれない」という決定的なタイミングは、オンカジのプレイヤーの「一回の勝利」のたびに訪れるタイミングなのである。
実は、オンカジのプレイヤーというのは「一回の勝利」を経験するたびに、その都度「次にパーレー法を使って賭けるかどうか?」という大きな選択を問われている状態に置かれているのだ。
パーレー法が「連勝」を前提にしている戦略である以上、パーレー法の発動条件は「まず一勝」である。「最初の勝ち」が存在しない限り、パーレー法を使った賭けも成立しない。
パーレー法というのは、この「一回の勝利」のたびにパーレー法のタイミングが訪れているということに気づいているタイプのプレイヤーにだけおとずれる「天恵」と考えたほうがいい。
パーレー法は「狙って発動させる人為的なもの」ではなく「向こうから突然やってくる運命じみたもの」であり、自分の意志を超えているため、そもそも創り出せるものではない。
「連勝」が続くほどに、パーレー法はその「運命」という本質的な性格をどんどん強めていくのだし、「運命に見放されるか愛されるか」については、パーレー法で賭けることを選んだプレイヤーが「予想」することなど絶対にできない仕組みになっている。
パーレー法というのは「運命」と対峙させられたオンカジプレイヤーが、自分の意志とは関係なく進行していく「運命」に対する「決断」だけで進行していく賭け方なのだ。
オンカジでパーレー法での勝利を経験した体感について
俺はオンカジで一度だけ「10万円」の大勝ちを経験したことがあるが、これは、いま振り返ると、無意識のうちにパーレー法を使っていた経験としてとらえなおすことができる。
俺のオンカジの遊び方は「堅実」であり、「軍資金以上の賭けはしない」であり、「負けない」であるため、戦略でがんじがらめになった「攻め」の姿勢が一切ないものだった。
当然ながらそのような賭け方をしている人間に「大きな勝ち」など到来するはずもなく、しみったれた生きざまを反映するように、細かい利益と損失で微々たる変動があるだけのオンカジライフが続いていた。
俺が大勝ちしたときは、会社と家庭のストレスがピークになり精神的に追い詰められ、かなり酒に酔っていたときだった。要するに「考える」ことをやめて、自暴自棄にオンカジで賭けた日だったということだ。
それがのちに「マーチンゲール法」であるとか「パーレー法」という名前での賭け方であることを知るのだが、その日は酒の勢いに任せて「とにかく勝っても負けても倍プッシュだ!もう家族のことなんかは知ったことではない!」という向こう見ずな賭け方を繰り返していたのだった。
それが結果として10万円のプラス収支だったということは、「倍プッシュによる連勝」があったからに他ならない。もちろん「連敗」もあった。そして、そこには「パーレー法を使って賭けるぞ!」というような意志は一切存在していなかった。
要するに、パーレー法で勝利を経験した体感については「まるで俺ではないようなもの」であり「狙ってできるものではない」というものであり、一言でいって「無意識」である。
様々な戦略を知ってしまった今の俺にあのような無謀な賭けは再現できないだろう。
だが、何もかもをご破算にしたいと考えて、また「無意識」の賭けをしたときに「パーレー法のチャンス」はとつぜん訪れるだろうという期待のようなものもある。
あの時はただただ「運が良かった」。パーレー法の体感は、その一言に尽きる。
戦略としてのパーレー法のまとめ
- パーレー法は連勝前提の倍プッシュである
- パーレー法は戦略というより生きざまである
- 1回の勝利のたびにパーレー法のチャンスが訪れる
オンカジにおける攻めの戦略パーレー法のまとめは以上となる。
パーレー法は「ギャンブル」と「ギャンブラー」を支配する運命そのものを体現しているような賭け方であり「戦略の向こう側」にあるといったところだろう。
パーレー法は、それを戦略として狙って賭け続けた場合はただただ「破産」だけが待っているだろう。だが、ギャンブラーも知ることができない「運命」が微笑んでくれた場合は、オンカジのプレイヤーに莫大な利益を与えてくれる。
直感を研ぎ澄まして、パーレー法を使うチャンスを見逃さないようにしよう。