ぽっかりと空いた心のスキマに、ちょうどオンカジがすべりこんできた、といったところだろうか。
俺は都内在住のしがないサラリーマンだ。中庸な大学を出て中庸な一般企業に迷いもなく就職し、これといった障害もなく結婚し、二人の子供も産まれて十年以上が経過し……という、いかにも「レールが敷かれている模範的な人生」をそのまま疑いなく生きてきたような男だ。
ただただレールから外れないことだけを考えて生きてきた俺には、これといった趣味もなく、家に金を入れなければいけないため、当然、ギャンブルに手をつけたこともなかった。そういったものは「模範」の外側にあるように思われてもいた。
代表的な「男のたしなみ」であるといわれる「飲む、打つ、買う」には興味がないまま40代を迎え、いよいよ「中年の危機」と言われる精神的に厳しい時期に突入してしまった。
この「中年の危機」というのが、俺にとっては予想以上の打撃だった。これまでは「レールに沿って生きていればなんとかなるだろう」と甘く考えていたのだが、とつぜん「なんという虚しい人生なんだろうか」という暗い感覚に支配されてしまったのだ。
そもそも過去に激しく燃え上がったこともないのだが、妻との関係はすっかり冷え切ってしまっている。これも、俺の「中年の危機」が発動するきっかけであっただろう。
また、「家にお金を入れるだけの無趣味のお父さん」に魅力があるはずもなく、思春期の長女とはもう何年も会話らしい会話をしていないし、小学生の長男はすでに「父親として尊敬するところが一つもない」ことをすっかり見抜いている風なのだ。
なんとなくの予感ではあるが、長男が自立する年齢がきたら妻とは離婚することになるだろう。いま、俺には家庭での居場所がまったくない。帰宅するだけで「針の筵」のうえにいる気分だ。
空虚な心にピッタリあう空虚な趣味としてのオンカジとの出会い
俺は家に帰る時間をできるだけ遅く引き延ばさなければならなかった。選ばれた場所はネカフェである。虚しさに苛まれた俺は、そこで、オンカジという「空虚な趣味」を発見することになる。
ネカフェにいるのだからマンガを読んだり、ネットで見ることができる映画などにハマれればよかったのかもしれないのだが、教養もなくフィクションにのめりこむ能力が根本的に欠けている俺にとって、それらの「鑑賞」や「センス」を必要とする娯楽は、どうやらハードルが高すぎたらしい。
結局のところ「頭を使わずにただただ時間だけが過ぎていってくれればいい」という消極的な自暴自棄が、俺をオンカジに接近させたのだと思う。ネカフェに入るときには、いつも一日の労働で疲れ切っていてもう何も考えたくなかった、というのも大きい。
オンカジの入り口になったのは、恥ずかしい話ではあるが「ポルノサイトの広告」だ。
ポルノサイトにアクセスすると必ず表示されるポップアップの「40ドルのフリースピン!」などの広告をポチポチと消しながら「どうやら、オンカジというものがあるらしいな」となんとなく知ることになった。
とにかく時間だけはあったから、オンカジについて詳しくなるためには十分な環境が整っていたと言える。
「オンカジ」という単語を検索すると出てくる様々なサジェストをかたっぱしからクリックしていき、合法性、入金不要ボーナス、入金ボーナス、オンラインスロット、ライブカジノ、稼げる……などの検索結果をむさぼるように読んでいった。
はじめは無料デモのオンラインスロットからプレイしてみた。これが「頭を使わずに時間だけが過ぎていく遊び」として、俺にはドンピシャのものに感じられたのだった。そうなると、あとはオンカジに登録して入金不要ボーナスを受け取る選択肢だけが、俺には残されていた。
勝てなくてもオンカジをやることで虚しさを忘れられた
入金不要ボーナスを使い切り、初回入金ボーナスも受け取って「課金」の日々に入ってからの俺の勝率は無惨なものでとにかく「勝てない」状態が続いた。だが、たとえ勝てなくても、とにかく「虚しさ」を少しでも忘れさせてくれることが重要だったのだ。
オンラインスロットを回しているときや、バカラに適当なベットをして負け続けているとき、俺は、会社や家庭で感じている「居場所のなさからくる苦痛」や「むなしさ」を、少しばかり忘れることができた。
それは結局のところ「すでにある虚しさ」を「別の虚しさ」でごまかしているだけではあったのだが、ごまかしであってもそれが救いになったことは確かだ。
「俺以外の人間も、こんな風にして『別の虚しさ』で自分を充実させることで、いろんなことをやりすごしているのだろうな」と想像することもできるようになった。
「虚しさを埋めるため」という理由がなければオンカジを遊び始めなかったような人間であるから、「勝てない」ことにそれほど悩むこともなかった。
そもそもギャンブルに積極的にハマる人間というのは「勝ちたい」という気持ちがなければならないし、「勝ち負け」に一喜一憂する才能が必要なのだが、俺は根本的に「勝ちたい」という欲望が薄い人間であるらしい、ということも「勝てない日々」のなかで知ることになった。
よくギャンブル好きがいう「脳汁が出る」という感覚も、「勝つ」ということに快楽が発生しない俺にはよくわからない。オンカジではじめて「10万円」勝ったときも、「こんなもんか」と思うだけで、脳汁と言われるような分泌物が出る気配はまったくなかった。
勝っても負けても感情は動かないが、とにかく虚しさだけは埋まっていくし時間が過ぎていく。これが、俺というつまらない人間の「オンカジの楽しみ方」であるらしい。
勝ち負けに興味がないのでやめどきの見極めがうまい
オンカジで遊んでいて気付いた自分の長所として、「勝ち負けにあまり興味関心がないので『やめどき』の見極めにたけている」というものが挙げられる。
「勝ち負けに興味がない」ということはギャンブラーとしては致命的な短所であるのだが、実は、それが「オンカジで負けないための長所」に転換しうることを、「勝てない日々」と「たまに勝てる機会」を通して俺は知っていった。
俺は家庭に居場所がないが、引き続き家には金を入れなければならないし、家族に隠れて始めたギャンブルで借金を作るわけにもいかない。小遣い制の自分は妻から与えられた「わずかな軍資金」でしかオンカジで遊べない、という前提もある。
家族はすでに俺に興味がないから俺が外でどんなふうに時間を潰しているか知らないのだが、俺は俺の最後の「居場所」を確保するためには、それを絶対に知られてはいけない。
オンカジで負けすぎてもし借金を作ったならば、俺がネカフェでオンカジをしていることが全部バレて、俺はせっかく作った「居場所」を失うことになるだろう。だから、絶対に借金だけは作ってはいけないのだ。
「勝てない」といっても感情を荒げることはせず、「軍資金の範囲内」で遊び、低資金から「へそくり」を捻出する程度の勝利で満足していく、というのが俺のスタイルだ。
「負けない」ことが何よりも肝要。一日に使っていい軍資金を超えてのベットは、絶対にしてはいけない。少ない軍資金で全部負けるか、小さな勝利を重ねてわずかな勝利金をへそくりとして「プール」できるかの二択。
いまのところはオンカジだけが「空虚な趣味」だが、オンカジでコツコツと「勝つ喜び」とは無縁のままへそくりを増やしていけば、ちょっと贅沢な焼き肉や寿司を食べたり、キャバクラや性風俗に遊びに行くというような「これまでしなかった金の使い方」にもチャレンジできるようになれるかもしれない。
とはいえ、今はまだその段階ではない。俺のオンカジは「勝てない」のが基本だし、会社と家庭でがんじがらめになっている以上は、元手となる「軍資金」を増やすことは現段階では不可能だ。
勝てない日々から導き出された小さな勝利のための戦略
「少ない軍資金」しか使えない俺の「勝てない日々」からも、オンカジの戦略を発信することは可能だ。
その戦略は「大勝利」には向かっていないしみったれたもので、「へそくりをためていくための戦略」としか言えないものではあるのだが、それでも戦略は戦略だ。
ネカフェではオンカジと並行してオンカジの情報の検索も続けているが、とにかく「オンカジは根本的に勝てないものなのだ」という事実を前提とした戦略がほとんどない印象が強い。
虚しさを埋めるためだけにひたすらオンカジで遊んだ俺の、嘘偽りない感想を言うならば「こんなに勝てない虚しい遊びはない」ということに尽きる。
前述したように、俺は一度「10万円の勝利」を経験している。ここで「勝ち負けに興味があるタイプ」だったら、この「一回の勝利」で舞い上がってしまい、「勝てないオンカジ」という事実を見失っていたかもしれない。
だが、俺は生来の「勝ち負けへの関心の薄さ」という欠陥から「一回の勝利」に喜びがなかったために、「勝てないオンカジ」という原則を見失うことなく相変わらず「勝てない」まま遊び続けていて、それでいてトータルでは「負けていない」といえるのだ。
「勝てない虚しさを全面的に受け入れる」ということが、あるいは、オンカジという空虚な娯楽における最大の「戦略」なのかもしれない。
「オンカジで勝てない虚しさ」は、家庭の問題を抱える俺の中年の危機からくる「より根源的な虚しさ」や「負け犬人生」に比べれば、ほほえましい虚しさなのである。
低資金からへそくりを捻出するためのオンカジ戦略ブログ
このブログは、上記したような俺の考えや体験、制限された立場から導き出された「低資金からへそくりを作り出すためのオンカジ戦略」を書き留めていく場所である。
俺はこの「勝てないが負けない遊び方」を通して、微々たる量ではあるものの、確実に「へそくり」を手に入れている。
その「へそくり」は、「ちょっといいとんかつ」をランチで食べられるくらいの利益であり、「高級風俗に通いまくれる」ほどのものではないが、「確かな利益」である。
虚しさからくる諦観といわれればそれまでだが、俺はオンカジは「勝てない時間つぶし」を楽しむものだと考えている。そのうえで「小さな勝利」と「わずかな勝利金」で、ほんのちょっと、空虚を埋めるための「わずかな贅沢」ができれば十分ではないだろうか?
その「わずかな贅沢」を目指して、虚しさに耐えながら勝てないオンカジを長く楽しみつつ、小さな勝利を重ねていくための戦略を、このブログで紹介していけたら幸いである。